- インタビュー
2025年06月20日
誰もが自分のiPS細胞を持つ時代へ── I Peace、関西万博で描く細胞医療の未来

- I Peace, Inc.
田邊 剛士 - Founder & CEO
「1人分のiPS細胞製造に数億円から10億円」という常識を覆し、数百万円での量産化を実現したI Peace。山中伸弥教授の研究室でiPS細胞開発当初から携わってきた田邊剛士氏が描くのは、「生まれたら当然のように自分のiPS細胞を持つ未来」です。
現在開催中の大阪・関西万博では、血液からiPS細胞を自動製造する装置を展示し、既に現実となった細胞治療の可能性を世界に発信しています。脊髄損傷患者が立ち上がり、末期がん患者の腹水が止まる——もはや「希望」ではなく「現実」となったiPS細胞治療の最前線と、日本発の細胞製造業が目指すグローバル戦略について聞きました。
数億円から数百万円へ── iPS細胞量産化の技術革新
I Peaceの細胞製造施設(同社ウェブサイトより)
iPS細胞の一番のメリットは、自分の細胞を自分で使える点ですが、その1人分を作るのが非常に高額でした。国のプロジェクトでも安くて数億円、間接費を含めると10億円以上という例もありましたが、われわれはオートメーション技術を用いて1人分あたり数百万円で作れるところまで持ってきました。
田邊氏
I Peace創業者でCEOの田邊剛士氏は、山中伸弥教授の研究室でiPS細胞開発当初から研究に従事し、世界初ヒトiPS細胞論文の著者の一人でもあります。田邊氏が描く未来は「生まれたら当然のように自分のiPS細胞を持つ時代」を実現することです。
この壮大なビジョンを支えるのが、同社が開発した革新的な量産技術になります。
従来は1人分のiPS細胞製造に数億円から10億円以上という莫大なコストがかかっていましたが、高度なオートメーション導入により数百万円まで圧縮することに成功しました。これにより個人向けiPS細胞バンキングサービスが現実のものとなっています。
田邊氏はiPS細胞を「半導体みたいなもの」と表現します。
iPS細胞自体は直接治療に使われるわけではありませんが、そこから心筋や神経、がんを攻撃する免疫細胞など、体のあらゆる細胞を必要な量だけ作り出せます。iPS細胞を押さえることは、半導体産業でチップを押さえるのに等しい戦略的意義を持ちます。
同社は既に個人用iPS細胞バンキングを日本だけでなく海外にも展開しています。中東、中国、米国などの受け入れ体制も整備(※註)し、京都の製造拠点でiPS細胞の生産を開始しています。研究室レベルでしか実現できなかった個人専用の細胞製造が、商業ベースで提供可能になりつつあります。
大阪・関西万博が映し出す細胞医療の「今」
次世代iPS細胞製造装置(EGG)
I Peaceは、現在開催中の大阪・関西万博でSBIホールディングスと協働し、血液からiPS細胞を製造する装置「次世代iPS細胞製造装置(EGG)」を展示しています。
会場に設置された装置は同社量産システムのプロトタイプで、実際に製造に使用している装置の1つ次のバージョンをベースに展示用として機能するよう設計されたものです。
本番環境で動かしているのは1個前のバージョンですが、展示機も実際に稼働できるように作っています。ただ、このまま量産ラインへ組み込むというよりは、来場者にプロセスをイメージしてもらうためのモデルなんです。
田邊氏
メカニズムは実機と同一であり、来場者はiPS細胞製造プロセスを目の前で理解することができます。展示装置はメインルームに常設され、万博期間中を通じて多くの来場者の目に触れる予定です。田邊氏によれば、展示を見た来場者からiPS細胞バンキングサービスへの問い合わせが実際に寄せられているということです。
展示機はiPS細胞だけでなく、そこから誘導した各種細胞も製造可能であり、こうした応用技術への関心も高まっています。国際色豊かな万博の場で、日本発の最先端細胞製造技術を直接体験できることは、同社にとって技術力を世界へアピールする絶好の機会となっています。
「希望」から「現実」へ── 臨床応用の最前線
臨床試験は既に156種類の病気で実施されており、日本では阪大の澤芳樹教授らの心筋シート治療が年内に世界初の保険承認を取得する見込みです。
田邊氏
iPS細胞を用いた医療は、もはや実験段階を大きく超えています。
例えば脊髄損傷では、今年の再生医療学会において画期的な成果が慶應大学・脊髄損傷 iPS 再生医療チームにより報告されたことが話題になりました。
脊髄を断裂して下半身不随となった患者4人に神経細胞を投与したところ、全員に改善が見られたそうです。(プレスリリース参照)
また米国ではVertex Pharmaceuticalsが糖尿病患者にベータ細胞を投与する治療で成果を上げました。インスリンを分泌できなくなった患者が、ほぼ注射不要なレベルまで改善する例も示されているそうです。
がん領域でも進展があります。I Peaceが協力する企業はiPS細胞由来ナチュラルキラー細胞を用い、子宮卵巣がんの腹膜播種患者を対象に臨床試験を実施しています。
腹水が日量4リットル溜まっていた末期患者で蓄積が止まり、症状が大幅に緩和されたということです。田邊氏は「iPS細胞が"いつか来る技術"という段階は終わり、医療に確実に使えるところまで実証されている」と強調します。
iPS細胞治療は研究段階から実用段階へと確実に移行しつつあるのです。
グローバル細胞製造業としての展望
米国に本社を置きつつ、日本で多様な細胞製品を加工し再び世界へ出荷する。そうした細胞製造加工業を日本に根付かせ、新たな産業にしたいと考えています。
田邊氏
戦略の核となるのが京都の製造施設です。ここは日本の厚生労働省から認可を受けるだけでなく、米国FDAにもリストされ、欧州規制にも準拠しています。京都だけでグローバル基準を満たす細胞製品を作れることが大きな強みである、と田邊氏は語ります。
世界では細胞医薬品量産を巡る競争が激化しています。従来の製薬大手は低分子や抗体までは取り組んできましたが、細胞医薬品の大量製造は新たな挑戦です。現在、この分野で本格的に勝負しているのはI Peaceのほか、LonzaやFUJIFILM Cellular Dynamicsなど限られた企業にすぎませんが、参入希望企業は年々増えています。
市場予測も田邊氏の野心を後押しします。細胞治療マーケットは2025年には約74億米ドルと推定され、2034年には約477億米ドルに達するという試算もあります。
一方、米国の幹細胞バンキング市場規模は2024年に16億4,000万米ドルと示され、2034年までに約69億米ドルに達すると予測されています。治療分野の成長率が高い一方で、バンキングの現時点の規模が大きいという二重構造が浮かび上がります。
日本の細胞バンキングは臍帯血中心で規模が小さいですが、海外では一般的なサービスとして根付いています。
I PeaceはiPS細胞技術を武器に既存市場へ切り込み、ディスラプションを狙います。中東、中国、米国の顧客に対応し、京都で細胞を製造する体制を整備済みで、今後国内の顧客だけでなくグローバルな受け入れ態勢をますます充実していく方針です。
日本発の技術と製造業を融合させ、グローバルプラットフォームとして新産業を創出するのが、同社の目指す未来像です。
註釈:同社によると国によっては血液やその成分を持ち出すことができないため、お客様に日本に来ていただく場合もあるそうです。
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